先日大々的に発表された「ニンテンドーダイレクト」Youtube同時接続数が200万再生を超えたビックイベントだったわけですが、個人的な注目は「ドラクエ3 HD-2D」とサプライズ発表があった「ドラクエ1・2 HD-2D」でした。3は購入を決定してますが、まさか1・2も発表されるとは思いませんでした。この2年間が長かったと感慨深い発表になりました。
今回はそんなイベントを観ながら「新型switchどうなるんだろう?」「そういえばSFC出る出る詐欺なんて呼ばれたときあったな」とふと思い出したので「第4世代のゲーム機」を振り返る記事になります。ごゆっくりお読みください。
第4世代のスーパーファミコンが出るまで
以前の記事で「ゲームの第5世代」の話に触れましたが、SFC(スーパーファミコン)は世代で言うと「第4世代」にあたります。当時、覇権を握っていた「ファミコン」の正当後継機として開発が進められていたゲーム機で、後に長い期間愛されるゲーム機になるわけですが、リリースまでの期間の間を俗に「SFC出る出る詐欺」と一部界隈では揶揄されておりました。
SFC出る出る詐欺と揶揄された経緯
第4世代はスペックで言うところの「8~16ビット機」が主流、さらに言えば「本体を合体させてスペックを上げる」「CDメディアと大容量化」が流行った時代でもありました。特にSEGAの「メガドライブ」やNECの「PCエンジン」などは、その変貌が凄まじく、価格も凄まじかったことを覚えています。ここで第4世代ゲーム機の歴史に少し触れて、何故SFC出る出る詐欺と言われたかを確認したいと思います。
NECが先手を打ち「PCエンジン」をリリース
1987年、当時ファイミコンがトップに君臨していた時代に「8ビットだけど画質がキレイ」でお馴染み、NECとハドソンの共同開発ゲーム機「PCエンジン」がリリースされました。当時としては「ファミコンよりすごいキレイ」と感動を覚えたゲームで、どちらかと言うと「高校生以上」のちょっとお兄さんなゲーム機だったと記憶しています。
また、もともとNEC側での「CD媒体でのソフト供給」路線が組まれており、PCエンジンは「合体が予定されていた機種」でもありました。単体で遊ぶときは当時斬新だった「カード型カートリッジ」で、ケースもCDのアルバムのような見た目をしていました。
CD媒体の基礎が形成される
1988年、世界初の「CDでのゲームタイトル供給」がPCエンジンの後発周辺機器の「CD-ROM²」で実現します。大容量のゲームデータを活用した「ステレオ音声出力」「2Dグラフィックスの向上」が可能になり、アニメーションの融合など画期的なタイトルがリリースされました。中でも後のキラータイトルになる「天外魔境ZIRIA」などは当時「アニメーションでしゃべる」演出が斬新でした。というよりか「アニメだ!」と友人宅で見たとき驚愕のあまり身体が震えたのは今でも覚えています。
もはや本体がどっちかわからない、とにかくお金がかかった記憶があります。当時は全く手が出ませんでした。
SEGAの16ビット機「メガドライブ」襲来
「SFC出る出る詐欺」の期間が長かった
そんな中、任天堂は未だにファミコンで勝負をしていました。しかし、全世代をターゲットに圧倒的な人気を誇っていたこともありシェアは安定してはいました。しかし、振り返れば1987年に「任天堂も次世代機を出します」と実は大々的に公言をしていました。結果的に1990年の「スーパーファミコン」が出るまで約3年間引っ張るだけ引っ張ったことになります。これが後に「SFC出る出る詐欺」と揶揄される原因となったわけです。
ユーザーとしては「PCエンジンやメガドライブ出ても、ファミコンの新しいのが出るならそっちを買いたい」と思います。なので任天堂もある程度の情報を出してユーザーの流れを多少なりとも留めておきたいと考えたのかと思います。結果的にスーパーファミコンへの世代交代が出来きたのだと思います。
当時は「マリオ4」や「ドラクエ5」が本体同時リリースと言われていましたが、実際は「スーパーマリオワールド」他3本がリリースされていました。ドラクエ5は1992年リリースになりました。
SFCが台頭し、周りが焦り始める
揶揄表現がありましたが、やはり任天堂はすごいです。ファミコンで形成した基盤をそのまま継承する形でスーパーファミコンもシェアを拡大します。またサードパーティーも33社からスタートし、人気タイトルの「ドラクエ」の新作も出ますので、一気に売り上げを伸ばします。ファミコンも当時はまだまだ元気だった記憶があります。
NECとSEGAは本体を乱発し始める
1990~1994年のうちにCDを周辺機器なしで初めから搭載しているタイプを両社ともリリースします。結局トータルコストがとんでもないことになるのですが…特にNECの本体乱発は目を疑うような荒れっぷりを見せつけてきました。正直ここらへんで「NECやばい」と自分は思っていました。主に「本体」→「周辺機器」→「周辺機器内臓型」→「廉価版」と言った順番でリリースを繰り返しておりました。「PCエンジンDuo」や「メガCD」などお金がいくらあっても足りない時代でもありました。
廉価版は良心的な価格ですが、それまでの乱発に食らいついていたユーザーのことを考えると泣けてきます。当時幼かった自分はある種「お金がなかった」ことに助けられた一人でもあります。
NEC「正直いらない本体」リリース
Evan-Amos – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
個人的に衝撃的だったのはSFCリリース前年の1989年リリースの「PCエンジンスーパーグラフィックス」(上画像)です。PCエンジンの処理能力を向上しただけの本体で、なんと「CD-ROM²の拡張が出来ない」という意味不明な作りになっています。しかも「この本体でしか遊べない専用タイトル」までリリースする荒れっぷりで、価格も39,800円とかなり強きでした。当時の自分は「いや、いらないだろ」と普通にスルーしてSFCを待っていた派でもありました。
結局専用タイトルは6本(うち1本はPCエンジンでも遊べるタイトル)だけで撃沈していた記憶があります。
日本語版ウィキペディアのVICさん, CC 表示 3.0, リンクによる
こちらは廉価版だけどやっぱり「合体」が出来ない「PCエンジンシャトル」斬新だけど使えない機種として有名。当時ゲーム系雑誌では「PCエンジンラインナップ」としてこれらの商品を含む見開きの特集記事がありましたが…正直「スペック差もないし、本体多いけど内容が薄い」と少年だった自分はスルーを決意するわけです。
またゲームボーイに対抗した「PCエンジンGT」も忘れるわけにはいきません。価格は4万円で、カラーでテレビもみれる、しかもPCエンジンのカートリッジもそのまま使えると言う代物ですが、高いです。電池持ちも悪くて重いです。だったら大人しく家でやります。というユーザーの意見が多かったです。ただ、かなり魅力的な商品だったと当時個人的には思いましたね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:SACHEN – File:PC_Engine_LT.jpg, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
後の「PCエンジンLT」は折り畳み式のタイプが99,800円という高価格でリリース。驚きは電池でもバッテリーでもなく「ACアダプタ」という点。利点が見えずに撃沈。ただスペックに妥協がない点は少し好印象がありつつも「ユーザーのお財布が無限と勘違いしてるのでは?」と言った誤解を生みかねない展開でした。
当時中古ショップですらお目にかかれなかったです。GTは1万円台で見つけましたが「やっぱり要らない」とあきらめた記憶があります。
SEGAも負けじとリリース乱発
1991年、一部で衝撃が走った「テラドライブ」。凄いのは「メガドライブ内臓PC」をリリースする度胸と拡張性のなさ。これはもとより価格が飛んでもなく高かったため手も足も出ませんでした。改造してメガCDを取り付けていた猛者も登場しますが…当時はネットも普及してないので自分が知る由もありませんでした。
Rama – 投稿者自身による著作物, CC BY-SA 2.0 fr, リンクによる
また1992年には、ビクターから「ワンダーメガ」がリリースされました。価格は衝撃の82,800円。現在のPS5よりもさらに価格が高かったです。さらに言えば「メガドライブ+メガCD」の購入金額合計よりも高いです。単純に音声向上(MIDI出力や重低音化)を図りましたが、とにかく高いです。こちらは家電での配給になりますが、やりすぎ感は否めません。後にSEGAからは「ワンダーメガS」、1994年には廉価版がリリースされますが、5万円台と結局不発で終わったとしか記憶にありませんでした。
SEGA自体も乱発してましたが、他メーカーより打ち出されたこの商品はかなりヤバかったです。
PlaystationはSFCの周辺機器予定だった
有名な話ですが、後に覇権を獲得するSonyの「Playstation」(プレイステーション)はSFCの「大容量化CDソフト再生」の周辺機器として開発されていました。1992年に合意し、1993年にプレ発表をした翌日に「利益配分への危機感」を危惧した任天堂からこの話を取りやめます。もともとソニーとは友好関係ではありましたが、この件で決裂し、Sonyは「独自開発してゲーム機を作る」方向に移行。後の1994年の「Playstation」のリリースに至ったわけです。
ここらへんから「カートリッジ至上主義」のようなイメージが付いたのかと思われます。
後の最大のライバルを誕生させてしまった誤算?
PS1は後の覇権を獲得し、現在もPS5を現行機として販売しています。途中PS3でのご乱心もありましたが…そこはまた別の機会に話題にしたいと思います。CDメディアへの進出が遅れたのもここが境目だと個人的には思います。Wii登場まではカートリッジで生きていきます。現行機Switchもカートリッジですが、近年は大容量データ通信の時代になりましたので徐々にパッケージ需要が低迷しているのではと個人的には考えます。ただシェア率などは「スペックに頼らない遊びやすさやゲームタイトル」をいい意味で継承し続けていますので、独自路線とは言え、カートリッジ展開もある種「勝ち」の結果に結びついたとも言えるのかもしれません。
これを一概に誤算というのは「競合相手不在」よりも成長のチャンスがあると考えれば言い切れません
第4世代はSFCの圧勝、後の第5世代に
1994年以降は第5世代の台頭につながります。PSが猛威を振るう時代の幕開けと、NECの敗退、SEGAの低迷につながります。この第4世代の中心は「任天堂・NEC・SEGA」であり、切り捨てられたとしてもSonyの「成熟期」でもありました。価格高騰がこの世代の代名詞ではないかと個人的には思います。バブルの煽りもあったかもしれませんが93年には崩壊し、お金をかけられない時代がやってきます。今後は「低コスト」がある種裏テーマになっていくわけです。
まとめ
今回は第4世代のゲーム機について記事にしました。正直この時代は自分が「ゲームに興味を持ち、お年玉でゲットする」時代で、情報も雑誌中心でしか得られなかった時代でもあります。ただこの時代は少年として過ごせたのもある種ラッキーだったかもしれません。もしバイトとかしてたら…メガドライブやPCエンジンに手を出していたかもしれません。
以上、第4世代のお金持ちゲーム機とSFCについてでした。
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