現在、メジャーゲーム機がほぼ出そろって、新規参入が厳しいコンソールゲーム機、言わば「安定の時代」に突入しました。ただ、その約30年前は「ゲー厶機作って一攫千金狙おうぜ!」と色々なメーカーからゲーム機を乱発していた、まさに「戦国」のような時代がありました。そんな時代を振り返る記事になります。参考程度にお読みください。
90年代のゲーム参入数がすごかった
今この現状で信じがたい時代ではありますが、当時は「ゲームをするならPCよりゲーム機」のほうが主流でした。それは価格帯もありますが、半導体や技術的な面で「専用ゲーム機」のほうが処理能力が長けていたとされています。またPC向けタイトルラインナップが不十分だったので「PCでゲームをやるメリット」自体がありませんでした。(その後「マイニング」などでGPUの技術が飛躍的に伸びるまでは大人しい存在でした。)
第5世代ゲーム機の台頭
1993年~1995年の間に発売されたゲーム機は「第5世代」と言われています。この世代までは積極的なゲーム機参入がよく見られ、各メーカーはこぞって覇権争いに参戦していました。恐らくこの第5世代が一番熱かったのでは?と個人的には感じます。(黎明期から色んなメーカーが参戦していましたが)
海外メーカーAtariショック不発
1993年:Atariの「Jaguar」を皮切りに海外メーカーなどで32ビット以上の高性能なゲーム機が出始めました。(Atari社は日本での知名度は低いですが、後の1994年に日本でも輸入販売開始。Atari社は2度ほど日本に参入してますがどちらも撃沈してます。)アメリカでは人気があるメーカーですが、日本では25万台程度しか売れずに撤退しています。
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日本でも本格的に高性能機が出始める
1994年:この年が個人的には一番ハードが出たような気がします。以下そのリストになります。
- Playstation(Sony)
- SEGA SATURN(SEGA)
- 3DO(松下電機)
- NEO GEO CD(SNK)
- Playdia(バンダイ)
- PC-FX(NEC)
※メーカーは当時の名称
現在活躍しているのは、リストの中では、Sonyの「Playstation」(プレイステーション)の後継機のみになります。知名度で言ったら「SEGA SATURN」(セガサターン)が有名でしょうか?当時はこの2大ゲーム機がバチバチにやりやっていました。32ビット~64ビット機とハイスペックになった両者のそれぞれの利点は
PS:「2Dはちょっと弱いけど、ポリゴン処理最強」
サターン:「2D特化でポリゴン苦手、だけど32ビット2台積んでるから実質64ビット機」
と言った塩梅。結果的に「3Dポリゴン全盛期」を迎え、Playstationに軍配が上がったわけです。SEGAは当時バーチャファイターを出していたものの「家庭用ゲーム機で3Dポリゴンはまだ早い」と算段していたそうです。なので「2D特化+ポリゴンもちょっと出来る」程度の仕様にしたと言われています。
当時PSを発売日に買って、だいぶたってから中古でサターンを買った派です。
忘れてはいけない「相手にならなかったゲーム機」たち
ギャルゲー需要で頑張っていた「PC-FX」
3DOは製作元の海外メーカー(3DOカンパニー)からライセンスを買い取って、日本では松下電機や三洋電機などがリリース。いずれもゲーム機とは言えない高額商品でまさに「電化製品」のイメージがあります。さらにタイトルが貧弱だったせいか、32ビット機にも関わらずあえなく撃沈しました。(スト2出たんですけどね)また2D特価のPC-FX(箱がデカくて本当にPC見たいなやつ)やPlaydia(ゲームじゃなくてムービーを見る8ビット機)は当時友人で持っていた奴もいましたが「やるもんない」とよく愚痴っていました。こちらも早期に撤退。
NEOGEOCDは「ロード時間でカップラーメンが出来る」と揶揄されていましたが、冗談抜きでそれ位、本当にロード長かったです。自分はSNK好きなので我慢しましたけど。
任天堂の黒歴史と敗北
1995年:任天堂最大の汚点(後に「これはゲーム機じゃなく玩具です」という名言を残しています。)「VIRTUAL BOY」(バーチャルボーイ)が任天堂の次世代機の場繋ぎ的な存在でリリースされました。画期的過ぎる「眼鏡型覗き込み据え置き機」と「実は目に優しいが目に悪いと思われていた黒と赤のみの画面表示+3D表現」は当時の自分にはかなり衝撃的でした。町のおもちゃ屋さんで試しプレイしましたけど、「デカくてみずらくて、めんどくさい」という理由で放置。後に国内15万台販売と任天堂で最も売れなかったハードとしてその名を残しました。
実際は「思った以上にデカい」でお馴染み「VIRTUAL BOY」
後に3DSの開発に役立ったという噂がありますが、自分は詳細わかりません。ただ、デカかったです。
その他リリースされたのはこちら
- ルーピー(カシオ)
- Pippin@(バンダイ)
- NINTENDO64(任天堂)
2大超マイナーゲーム機の行く末
写真が作れてちょっとだけゲームっぽいのが出来る「ルーピー」
恐らくルーピーとPippin@(ピピンアットマーク)を知っている人はかなりコアな人だと思います。自分はルーピーを持っている女の子の友達がたまたまいたので触ったことがありますが…正直ゲームじゃなくて、プリクラです。しかも自分が映らないシール製造機です。それもそのはず、こちらは「シール作成機+コンピュター」がコンセプトなのです。これを他のゲーム機と比べること自体ナンセンスですね。
これ(Pippin@)のせいで開発中の次世代機が出せなかったバンダイ
一方Playdiaのリリースの翌年にまた手を出した…というよりは「出させられた」バンダイが発売した「Pippin@」は天下のApple共同開発の「ほぼPC」なゲーム機です。Appleは当時「うちのOS(Mac)を積まないと出すことは認めない」と豪語しており、価格が高騰。互換があるPippinOSを搭載。モデムも詰んで、当時珍しくフラッシュメモリを積んでいた…もう「ほぼPC」な品物でした。価格もさることながらゲームタイトル(バンダイなのでガンダムごり押し)にも恵まれず、販売総数4.2万台と「世界で最も売れなかったゲーム」として未だに語り継がれています。
当時、電気屋さんのチラシに連絡先があったのを記憶してますが、店頭販売じゃなかったと思います。実物なんかまったく見たことないレアなゲーム機です。欲しいとは思いません。
任天堂はカートリッジに固執、でも強い
コントローラーがデカいけどジョイスティックが意外とやりやすかった「NINTENDO64」
NINTENDO64はその名の通り64ビット機です。他と違うのはソフトがカートリッジのままでのリリースです。これは任天堂で「CDは読み込み時間がかかる。やはりカートリッジでうちは販売をする」という強気の姿勢で展開しました。カートリッジはCDに比べて「生産コストと工数」がだいぶかかります。ですのでメーカーとしては「コストが安く、すぐに作れる」CDのほうが良いと考えます。この強気の姿勢が後の「FF任天堂離れ」などのきっかけになったようですが…定かではありません。ソフト価格が高かったりサードパーティ離れがあっても専売タイトルの「マリオ」「ゼルダ」と64で初登場の「どうぶつの森」「スマブラ」が強く、なんとか一定のシェアをキープしていました。
自分は「ゼルダ」がどうしてもやりたくて、台風の中、自転車で買いに行きました。
最終的には「PS」「サターン」「64」の価格競争で終結
戦国時代で生き残ったのは「PS」「サターン」「64」のみになりました。ここからシェア拡大のために双方の価格争いが勃発します。たたき売りのように価格が下げられ、64に至っては最終的に14,000円の破格な値段で販売することになります。牛丼屋チェーン店のような価格競争があったんです。
最終的には「PS」の圧勝、次いでアメリカにも強い「64」、だいぶ差をつけられて「サターン」と言った順に販売台数(シェア)は「PS」が獲得出来ました。
そして世代が続く
上記が「第5世代」の販売当時の状況でした。結構レアものにされいるゲーム機たちも市場(オークション)でちらほら見かけるようになりました。そこからゲーム機のメーカーが固定されていき、現在に至るといった状況です。これまでの世代間の各メーカーのゲーム機を振り返るのも楽しいのでまた機会があればやりたいと思います。
ゲーム機参入が減った原因
このようなゲーム機リリースを経た現在、ゲーム機自体が衰退したと考えられています。(それでも産業的にはまだまだ元気ではありますが)確かに以前までの勢いや数字的な衰退があるかもしれません。そこで次に衰退してしまった要因について考えてみました。
スマホに追い上げられた現在
コンソールゲーム機の衰退(と言っても一部メーカーは元気)の一因になったのは「スマホゲーム」の台頭が挙げられます。スマホ普及率は今や「国民1人につき1台」くらいのシェア率を誇ります。その誰でも持っている端末でゲームが「実質無料」で「手軽に遊べる」ならそちらを選択すると言った単純な理由です。
コアユーザーが減りライトユーザーが増えた
有料コンテンツももちろんありますが、「ゲーム機に見劣りするが、そこまで気にならない」レベルで配信が可能になり、特に過去に流行った名作RPGなども「ほぼ完全移植」としてスマホ版が出てきましたので、「ゲーム機がなくても気軽に遊べる」と言った利点を最大に生かした販売展開が出来きます。コアユーザーとされた層が年齢を重ねるにつれてライトユーザー化するのは、社会的環境(家族、社会の位置や地位)もある程度は影響を受けると思います。またライト層向けのゲームで育つユーザーは必然的にライトユーザーのままですので、ある種「コアユーザーが育たない」環境とも言えます。
課金方法がシンプルで稼ぎやすい
「パズドラ」や「モンスト」と言った「実質無料で課金が可能」なビジネスモデルはかなり儲かるようです。主にキャラクター排出に使うアイテムを購入させる方式ですが、これは沼にハマりやすい要素になります。低確率での排出になるので一種の「ギャンブル性」があります。またそこで手に入るキャラクターが強く、攻略でマストな存在、さらに排出は「期間限定」でしか排出しないとなると…課金をしてしまう気持ちもわかります。
「マルチプラットフォーム」でPCに流れてしまった
コアユーザーの場合はコンソールゲーム機を愛用するのが必然ですが、「より良い環境でゲームをプレイしたい」というユーザーはPCに流れているのも現状としてあります。これは「以前より低コストでゲーム機の処理機能をPCが上回った」ことにより「ソフト配給がマルチプラットフォーム化」したことが要因だと思われます。安いと言っても25万円前後します。GPUの高騰がネックになりますが、(その分処理能力の向上が顕著に伸びました。)それでも「ゲーム機より快適にプレイが出来る」という、ある種ゲーマーからすれば「夢の環境」でプレイできるのですから、流入も納得が出来る結果だと思います。
ゲーム機の生き残りは「専売タイトル」の出来如何
それでも根強く活躍しているのが「Nintendo Swicth」「Playstation5」の2大ゲーム機。それを追う「XBOX」のような構図が出来上がっています。現状これらの後継機が出る、出ないのみの話題しかないです。なぜなら他のメーカーが「キラータイトル」を保有してゲーム機本体の生産に参戦することがほぼ不可能だからです。ハードを販売する会社に「サードパーティー」としてソフトを提供するほうが安定して儲かることも理由として挙げられます。
専売タイトルのニーズが明暗を分けた
任天堂には「マリオ」「ゼルダ」「ポケモン」など人気タイトルを開発販売していますので、理想的な専売モデルを確立してます。ここの会社のすごいところは「ハード」と「ソフト」を作れるアイディアと技術があるところです。ここが他社とは違うところだと個人的には思います。SONYは超大手企業の資本が武器になっていると思います。PS3では色々とあってサードパーティーの専売タイトルの契約もごたつきましたが、現在のところ「FF16」「FF7リバース」「スパイダーマン」などの話題作の他社製品の専売は獲得されています。(今後どうなるかわかりませんが)SONY自体もその資本で人気タイトルを販売していますが、任天堂のセールスには一歩届かないのは否めません。これは「ユーザー層」の差が最も大きく関与しています。
任天堂のコア層が広い
人気タイトルの裏付けは「子供から大人まで楽しめるゲーム」を量産しているところです。マシンスペックからしてもかなり水準が低いSwichがもてはやされるのは「据え置き、携帯両方出来る」マシン性能と「ゲームの楽しさ」を低スペックで再現しているところだと思います。一方PS5は「20代以降の大人むけ」のタイトルが多いように感じます。マシンスペックを生かしたグラフィック表現が必要なタイトルで内容も濃いとなると子供はあまり反応が鈍くなります。両者ともに一長一短ですが、蓋を開けてみると購買層が広くなるのは「子供から大人まで楽しめるゲーム」がハード購入の理由になったのでしょう。
まとめ
今回はゲーム機についていろいろと記事にしてみました。自分らの世代ではど真ん中の話題だったので色々と思い出せて楽しかったです。現在は正直価格高騰に拍車がかかり、自分も家庭を持ち、仕事もある程度やらせていただいているので振り切ってゲームをする時間を確保することが難しいですが、合間を見てゲームは続けていきたいと思います。
以上、90年代、第5世代ゲーム機についてでした。
コメント
コメント一覧 (2件)
懐かしい…。
むかしはハードがたくさん乱立してたなぁ…。今ではパソコン一つで出来るので、この戦争を経験している人達がいるうちはハードの乱立しなそうですね…笑
だんなとよめさん
そうですね(笑)多分ですけど媒体レスになって買わなくて済む時代が来たらいよいよだなって思います(笑)ダンヨメさんの読み通りになると思いますよ。見てみたいですけどね。